【歴史観が変わった〜自分のルーツを調べていったら①鎌倉編】

旧御射山の朝。

しほりです♪

昨日は父の日でしたね。一番近い祖先と言ったら父ですが、父が亡くなる少し前のことです。

父方のお墓は、田舎の小さな場所で一族の墓しかそこにはありません。落武者であったから村の人たちのお墓に入れなかったと、小さい頃聞いたことがあったのですが、ずっとお百姓さんのおうちだったし、落武者と言われてもよくわからなかったのかもしれません。

子どもの頃はまだ土葬もあって、土が盛り上がってたり、お墓はずっと怖い場所でした。

大人になり、弟が家系図もあったらしいとか言ってましたが、10年前には、神社とか先祖とか関係ないと思ってた現実的な一般主婦でしたから、

10年後にこんなことを書いているなんて、夢にも思ってなかったのです。

父は末期癌でしたが、今年の桜は見られないかも宣告されましたが、癌との共存を選んだので、それから何度も桜を見て亡くなりました。

その晩年のことです。お墓参りに行って帰ってきたら、私はいきなり高熱が出て寝込んでしまったのです。風邪とかではないのですよね〜

次にお墓へ行った時、周りのお墓がきれいになっていて、家紋がはっきりわかりました。

うちは分家で姓も違っているのですが、本家の家紋の中に不思議な紋があることに気がついたのです。

今は便利ですから、ネットで検索してみると、武蔵七党という武士の集団があり、横山党が先祖とわかったのです。

さらに調べ行くと、横山党の先祖は「小野篁の孫」

ということは、小野妹子や小野氏の元は、第五代孝昭天皇まで行き着くのですが、

孝昭天皇は欠史八代に入ってますから、実在したのかはわかりません。

また、横山党の祖先は篁の孫が国司として来たというのではなく、元々武蔵国にいた土豪ではないか説もありでした。

まあよくわからないのですが、ともかく私も小野氏の端くれかもしれません。
横山党ではあるようです。

横山党はどんどん負けていく方に付いていくので、よくご先祖様は生き残ってこられたものですよね。

横山党が一番活躍したのは、今大河ドラマでやっている時代で、頼朝が京都に上がった時に、何人も一緒に行っていたという記録もあり、馬と弓で頼朝の勝利に貢献したようです。

当時は、武蔵国や相模国に、たくさんの一族が広がっていたそうなのです。

日本史は、戦国時代の小説読むくらいで、特に関心もなかったのですが、それを知ってからでしょうか、どんどん歴史がやってくるというか。またおいおい書きますが、はっきりとした不思議な夢を見ることがあるようになりました。

あとどんどん知りたいと思うことが、何かを通してわかったり、お友達からもそういう話が出て来たりとか。

郵便局の仕事やパステルのお仕事やめたので、歴史の探究や、きっとそれに繋がっているだろう不思議な旅へと出られるようになったのです。

見えない世界で、何かが繋げられているように思えます。

そう思うと鎌倉の当時も誰かのご先祖とは土地を巡って争ったりもあったかもですが、誰かのご先祖とは親戚だったり、仲良く協力してたのかもしれません。

先日、八王子の方へ通っている友人から、梶原景時がとても気になると。

景時を祀る神社へ行くことになったり、何か来るそうで。寒川も景時の領地だったそうだと教えてくれました。

私も毎年のように寒川神社へ参っていて。とても好きな場所なのですよね。そこの御神苑に御祖社(祖霊社)がひっそりあるのですが、初めて行った時、ここは参らなくてはと思って。何か寒川神社は関係あるような気がして。

後からその年が八方塞がりの年だったと聞いて、先祖が呼んでくれたのかと思いました。寒川神社は八方除けでとても有名な神社だったからです。

友達に言われて気になったので、調べてみたら、梶原景時の奥様が横山党だったんです。親戚関係だったのですね。

和田義盛の妻も横山党で、そのため和田合戦で和田氏につくのですが…

悲しいことになっていくのがわかってるので、どうもドラマ見られないのです。

昨日お会いした方も、その流れから、きっと協力したに違いないと思う方のご子孫とのこと。

以前その方から話を聞いた時に夢を見まして、周りの人たちが、その方のご先祖をこう呼んでいたのだと、教えてくれてるみたいに、声がどんどんしてくるのです。

今時使う言葉と違うし、すごくリアルな感じでただの夢ではなく、このことを伝えてくれ!くらいな感じだったのです。

変な人と思われるとは思いつつ、やはりお伝えしようと思ってお伝えしたのですよね。

そして、昨日もそんなお話したのですが、あ!っと思い出したことが。

ここも私が大好きな場所。長野県の霧ヶ峰の近くにある「旧御社山社」

標高1600m、すぐそばに高層湿原の八島湿原。

すり鉢状になった草原の中に、小さな祠があり、その下の岩から泉が湧いているんです。

縄文より前の、旧石器時代からそこでは黒曜石が加工されていたというような場所で、御射山の祭りも太古からあったそうです。

鎌倉時代、御射山祭は盛大になり、ここに数万の人が集まり、狩や弓の競技が行われたといわれています。実際は、そこまで広い場所ではないので、主には祈りの場だったのではと書いてある方もいて、その方が私にはしっくりきました。

将軍家をはじめ、鎌倉から関東、諏訪、甲州、信州など、御家人たちが集まり、そこにススキの穂で、穂屋を作り、三日間のお祭りを過ごします。

神殿が中心にあり、巫女や白拍子などもたくさん来ていたようなのですよね。

それが毎年あったというのです。鎌倉から諏訪の先の山の上まで。すごいことですよね。

なんでそこの風景が浮かんできたかと思ったら、先祖さん同士が、毎年そこで会ってたのではないか?と。

「毎年ここでお会いするのが楽しみですなぁ。」なんて感じで、親しかったのか?なんて思ったわけです。

あの草原の中を馬で走ったりしてたのかなぁ。

ということで、そういえば、その祭りで、誰がどこにいたかを書いてある古い地図が看板にあったのを思い出して、探してみたら…

やっぱり!
そこにお名前がありました。

さて、その反対もありました。
仲良しの友達と、武士の話になって、
なんかうちはこうだったみたいなのよ〜

と話して、落武者になったみたいなのと言ってたら、

なんとその時攻めてた方のご子孫だったのです。それもびっくりでした!

でも、うちも生き延びて、ここに私たちがあって、仲良くできてよかったね♡
ということになりました。

こうして、ルーツを追っていくことで、見えない力が働いて、不思議な出会いがあったり、

先祖が関係してただろう土地へ行くことになったり。

過去にこだわるのもだし、これがはたしてなんの役にたつのだろうとずぅっと思っていたのですが、

きっと長い歴史の中で、きっと一緒に働いたり、お世話になったりを知ることにもなるのかなと思ったのです。

逆に、恨みつらみになってしまうものもあるだろうけれど、歴史上の出来事はそちらの方に目がいってしまいがちですが、

旅をしていて感じたのは、そこでこんな暮らしをしていた人がいたんだよ♪ということを知ってもらえることが、先祖や先人たちの思いのような気がしました。

きっととても古い時代、みんなが協力して得意を生かしていた、そんな歴史を教えてくれているような。それを私たちが感じてみるのもいいんじゃないかな〜

この木の向こうが旧御射山の祠。まるで、雲の上から、誰かが見てらっしゃるようでした。

今日も読んでいただき、ありがとうございました☆

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