【大田神社チャンポン神楽・古層の海と鉄の神々が見せてくれたもの〜超古代⁉︎が残る京都不思議スポット③】

しほりです♪

日も暮れて夜7時、大田神社の本殿に灯りが見えます。

参道歩くと、タゴガエルが鳴いていました。この辺りではここの水でしか生きられない貴重な蛙なさんたち。

ここから深泥池にかけて、繋がっていたといいますから、タゴガエルたちもどのくらい昔から生息していたのでしょうね。

私がここに来たのは毎月10日の夜にしか見られない夜の神楽を拝見しにきたのです。「ちゃんぽん神楽」と呼ばれる不思議な神楽だそうです。

この神楽もどのくらい古いかははっきりわからないのですが、神楽の研究者の方の講演記録がありまして、そこで紹介されています。

「神楽について」各地に残る神楽について→こちら

こちらのサイトの説明からまとめさせていただきました。

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神楽のもっとも古い形が残ると考えられているのは巫女神楽。本来の神懸りする巫女舞ですが、これは今は残っていなくて、その痕跡が残ると言われている神楽が大田神社の巫女舞。

 大田神社の祭神は天鈿女命です。神話の中で、天岩戸の前で舞いながら神懸りしたと書かれているので、神懸かり系の巫女舞がこの神社に残っているというのは自然なこと。

ここでは巫女さんがただ立ったまま回るだけで、左に回って右に回って、逆・順とも言いますがこれをかつては高速で回転して神がかっていたと考えられます。

今はとても遅くなり、神がかりをする代わりに今はこの巫女さんに、神様が降りてきたと言うことで氏子さんに対して鈴を振って、神様のパワーを降り注ぐという、祈祷、お祓いをやっています。

すごく短い神楽でも2分ぐらいで終わってしまう日本で一番短い神楽かもしれません。

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毎月の祈祷とお祓いに近隣の氏子さんたちがいらしていました。

私は全く勝手がわからなかったし、見学だけでもいいのかなぁなどと思っていたのですが、宮司様が親切に教えてくださり、お金を納めさせていただき、しっかりお祓いしていただけることに。

神楽の音は太鼓と鼓、小さなシンバルの単調なものですが、なんとも言えない音でした。それと巫女さんの鈴の音。太鼓と金属音の原初的な響きです。

それに合わせて回るだけなのですが、それってまさにウズメだなと思ったのです。

回転によって渦を作るから渦女ウヅメなのではないでしょうか。

この回転の方向にも意味があると思うし、ちょうど樽くらいの円座の上で舞われたので、

実際樽の上で、回転と音により神がかりになった巫女が託宣を降ろす様子を神話にしたのではと思えました。

神社という形ができる前、磐座での祭祀などでは、けっこう狭い場所しかなかっただろうし、こういう形から始まったし、多かったろうなと思ったわけです。

また明治政府により、巫女が託宣を降ろすのが禁止されたので、大田神社でもそれまでは託宣を降ろしていたのかもしれませんね。

上賀茂神社の説明によると、摂社大田神社は、賀茂氏が、入って来る前から、この地の農民により祀られていたということですが、

小野氏、丹生氏、壬生氏など、先住氏族の奉斎していた神様たちだと書かれている記事を以前に見たことがあって、大田神社の名前が引っかかっていたのでした。

その神様たちを見てみると、

主祭神「天鈿女」
宮中で古い時代に祭祀をしていた猿女氏の祖神。猿田彦の妻であるので猿女。
あめがつくので、海の渦の女とも取れるよね。

白鬚社「猿田彦」
道開きの神。天鈿女と夫婦神として記紀に書かれてますが、天鈿女の記述から暗殺したのではなどという説もあり。
伊勢、九州、また白鬚明神として琵琶湖の畔に祀られていたり。私はいろんな猿田彦がいらして、神話に一つにされていると思ってます。海を渡り、力のある開拓者たちであり、鉱山開拓もしていたと思われます。

百大夫社「船玉神」
船の神、航海や漁の神。または岐神。
クナトの神でもあるようですね。
インドのドラビダ族が先祖という古い出雲族では、クナト神とサイ姫が夫婦でサルタヒコが息子として、この三神を祖先として祀る信仰があり、ここもそばに幸神社があるので、出雲族の人たちもいたの可能性も高いと思いました。

そして、鳥居を出た道にあるのが
福徳社「福徳神」

この四神を総括したのが大田神なのだと社頭に書いてあるそうです。私は見逃してしまいました。

まさに鉄と海人族の神々。鉄と言っても農業の鉄。その後入ってくる人を切る剣を持った争いの鉄の人たちとは違う前時代の人たち。

最後の「福徳神」
ここだけなんなのだろう?とずっと考えてたのですが、「ふく」→吹く。
真金吹くの「ふく」だったのでは?
鉄を作るには風で火力を上げることが必要不可欠ですから。

これまで、小野氏を調べてきて、小野妹子の時代のずっと前から、採鉄氏族としての小野族があったと思っています。

私の旅とその後の学びで、小野氏が派生したという和邇氏、また出雲族や猿田彦族、安曇族の人たち海人族が得意な分野を生かして、協力し合って開拓や採掘をしていたのだろうと思うようになりました。

その中では婚姻も進み、血も混じっていったことでしょう。

深泥池から見えていた山々には、古墳があるそうです。

そして、山の向こうには、小野氏のいた後が伺える寺社や地名が広がっています。

大田神社の神楽がいつから始まったのかわかりませんが、彼らが活躍していた頃の古い祭祀の形が残されていたのでは…

圧倒的な技術を持って、開発を進めた秦氏賀茂氏の力があって、京都盆地は埋め立てられ、平安京が造られました。

しかし、この辺りだけ、氷河期以来の太古の姿と、原初の巫女舞が残り続けたのは奇跡としか思えませんでした。

上賀茂神社の摂社になってしまったとはいえ、賀茂氏の力があったからこそ、残ってこられたという面もあるでしょう。

来なければ、まったくわからなかったことばかり。誰かが見せてくれているのかもしれませんね。

大田神社の夜神楽は来られる方の人数によって、何度か行われるようですが、鳥居を出ると誰もいなくて、真っ暗でした〜

上賀茂神社の方に出るにしても、また地下鉄の北山の方に戻るにしても、かなり暗そう…

結局、Google先生頼りで、地下鉄に出ることにしてのですが、初めて来る所な上に夜道ということで、疲れ果ててしまいまして。

タクシー呼べばよかった…

それにしても、ここの神楽、年配の女性が舞うのはなんでなんだろう???

その後も不思議なことが起こり続けました。続きと考察はまた…

今日も読んでいただき、ありがとうございました☆

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