写真はwikiからお借りしました〜
しほりです♪
今日は水瓶座の満月。水瓶座といえば「I Know」知ることがテーマの星座です。
追っかけてきました「ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第2番~自作自演⁉︎動画」
ラフマニノフ本人の演奏を発見して、聴いた感動のままにシェアしたのですが、
投稿した人の追記には、「第一楽章は確実に本人演奏だが、第二第三楽章については、本人演奏かどうかは議論がある。」とあることに気がついたのでした。
どおりで、音も違うし、第一楽章のもの凄さに対して、第三楽章は期待に対して、え?こうなるの~みたいなものがあったし…
録音がかなり違うのはわかるけれど、果たして本人の演奏か?
それについては、きっと永遠にわからないのだろうな~と思いました。
でも「知りたい!」とも思っていました。
いまや大量に出回る動画の世界。その中には、本当に貴重な録音もあるし、
先ほどのように、真偽の議論があるものも、
また、まるですごいもののように作り上げたフェイクもある。なんのために、そんなことをするのでしょうね~
ということで、ラフマニノフの動画、30分ほどです。みなさんはどのように感じられるでしょう?→こちら
実は、このラフマニノフの演奏を巡って、たくさんのご教示をいただいた香山さんが、
「あの時空のねじれのような…」
と形容された不思議な冒険の旅のような時間をその後過ごすことになります。
今回は、香山さんにご協力いただき、私たちの往復書簡=メッセンジャーのやりとり♪を中心に、
みなさんともこの「音の森の冒険」を共有できたらと思います。
2人の巨匠のぶつかり合いや、曲への思い。
芸術家のこだわりと売る側の事情。
録音の歴史や音作りの重要性。
はたまた思わぬ落とし穴も…
果たして真相はどこにあるのか?
時を超えて生きる巨匠たちの伝説的録音を楽しんでいただきたいと思います。
簡単に登場人物を紹介しましょう。
☆セルゲイ・ラフマニノフ
帝政ロシアの貴族の家という恵まれた環境の中、音楽家としても順風満帆に進んでいたラフマニノフ。
ところが交響曲第1番が大失敗に終わり、そこから精神的にどん底へ。創作ができなくなる。
そのどん底から這い上がった新たな希望の曲が、このピアノ協奏曲第2番。
1900年に第二、第三楽章ほぼできていて演奏されたが、その後最大の難関第一楽章を書き上げ全曲完成。初演も大成功したのは翌年のことだった。
~作曲中から、第一楽章と、後の楽章については、そんな経緯があったんですね~
しかし、帝政ロシアには革命の嵐が吹き荒れ、ボルシェビキが政権を取ると、貴族であった彼は、家族とともに母国を離れる。
新天地として渡ったアメリカでは、ピアニストとして、すごい人気となり、全米を演奏して回る。
時を同じくして、蓄音機の録音やレコードも誕生。録音技術も発展し、多くの録音をする。
しかしラフマニノフはソビエト連邦となった母国へ帰ることはできずに一生を終えた。
写真を見ると、哲学者のような風貌の紳士だが、なんと身長が198センチ、そして長さ30センチもある巨大な手の持ち主だった。
~そのことは、あとから教えてもらったのですが、聴く時も、その体格の人が弾いていると思うと、タッチや迫力も実感しますね。~
☆レオポルド・ストコフスキー
イギリス生まれ、アメリカで活躍した名指揮者。
フィラデルフィア交響楽団の常任指揮者として、蓄音機時代から、多くの録音を行った先進的な巨匠で「音の魔術師」の異名をとっていた。
ディズニー映画の『ファンタジア』の音楽もこのコンビ。
~映画の最初で影絵でミッキーと話をしてた人だったんだ~
『ファンタジア』は1940年製作。この直後にストコフスキーはフィラデルフィア交響楽団から離れることになる。
☆ 香山さん
4年前埼玉県蓮田市の「雅楽谷(うたや)の大くぬぎ」伐採の決まったその木を残せないかという運動の中で、いろいろお力添えいただいた。以来Facebookのお友達。
~長野県在住の香山さんは本業の木のことだけではなく、クラシック音楽や音に対する深い造詣を持ってらして、たくさんのご教示ご協力いただきました。本当にありがたく感謝しております。~
「縄文から続く雅楽谷の大くぬぎ」伐採された後に77歳の「喜寿=喜樹」だったとわかったのですが、その繋がりが今でもこんな喜びを生んでくれていることにも感謝です!
当時の記事のまとめ。ご興味ある方はどうぞどうぞ→こちら
今日も読んでいただきありがとうございました(^^)続きます〜