智野しほりです。
今日も読んでいただき、ありがとうございます♡
昨日は、弟が車を出してくれて、お墓参りに行ってきました。雨もお参り中はポツポツでお清めしてもらってるようでした。終わったらザーッっと来た(๑˃̵ᴗ˂̵)
うちのいなかお墓は、一族だけの小さな墓地にあり、地元のタクシーに乗っても、あんな所にお墓があるの?と言われます。
子どもの頃は、まだ土葬もあって、
棺の大きさのこんもりした土山ができていて、すごく怖かったものです。
なので、お墓は怖いところと思っていて、〇〇霊園とかの明るいお墓はいいなぁと思っていました。
いつも気が進まないお墓参り。
元々、あまり信仰心もないし、先祖とか寺社とかも形ばかりのお参りだけでした。
ところが、父が亡くなる少し前の年のことです。
墓地が整理されて、墓石なども新しくまとめたものが立ったりするようになっていました。
その時、うちは分家なのですが、本家の方の紋が少し違っていたことに気がついたのです。
そしてなぜか、帰ってから高熱が出て何日か寝込んでしまったのですが、
それが私が古代史に興味を持つきっかけになりました。
急に「先祖」というものに興味が湧いてきたのです。
ずっと農家であったと思っていたのですが、弟が「なんか落武者だったらしいよ」と言ってたのを思い出して。
ネットというのは便利なもので、
名前や家紋を元に、いろいろワードを追って調べていくと、
武蔵七党の「横山党」に当たりました。
平安時代の後期から勢力のあった同族の武士団で、横山党だけでもたくさんの姓に分かれているので、
きっと私だけでなく、横山党の子孫は関東にたくさんいらっしゃると思います。
それが、それぞれのいわれのある
「武蔵七党」
の子孫となれば、
「あ!あなたもでしたか(^^)」
なんてことに、なりそうな♪
横山党は、源平の戦いでは源氏につき、有名な戦さでも活躍したそうです。
頼朝の京都上洛にも何人もの騎馬武者が従ったとありますが、
和田合戦で、和田方につき、本家は壊滅してしまったそうです。
折しも、2022の大河ドラマは、北条氏が次々と政敵を打ち負かして実権を握っていくところをやるそうで、
和田合戦も山場になりそうですね!
和田合戦で和田氏と同族の三浦氏、和田氏と姻戚関係の横山党は滅亡したとあります。
でも、横山党はその時点で武蔵国、相模国に広く一族が広がっていましたので、
本家は壊滅してしまったと言っても、残った人たちは多かったようです。
そんなことを調べていた頃、我が家はなぜか神奈川県方面に引っ張られてまして。
相模国一宮「寒川神社」へも、
たまたま用事で行った主人が良かったよ!と言ったので、行ってみたり。
すると相模国にはうちと関係ありそうな地名があったりしたので、父に聞いてみましたら、
「本家は小田原だったそう」とだけ教えてくれました。
小田原ね~
さて、大河ドラマ続きですが、『軍師官兵衛』をその頃やったのです。
岡田くんの黒田官兵衛もよかったのですが、谷原さんの竹中半兵衛が好きすぎて、半兵衛が死んだら見なくなってしまった…(^^;)
おっと話がついつい半兵衛へ言ってしまいましたが、
そんな期待で見た第1話。
豊臣秀吉の北条攻めのシーンが。
小田原城(まだ今あるようなお城は無くて巨大な砦だった小田原の町)へと、
官兵衛が交渉に行くのです。
そして、砦の前で矢を射かけられながらも、北条氏側に
「生きられよ!」と叫んでたのです。
この時、あ!ここにいたんだ!
って思いました。小田原というワードと落武者というワードが繋がったのです☆
そして、後北条氏(鎌倉幕府の執権とは別の北条氏)は降伏。
城内に立てこもっていた人たちはどうなったことか詳しくはわかりませんが、
ともかく戦闘がなかったお陰で、どうにかうちの一族は落ち延びることができたということなのか~
そして、また調べていくと、やはりその流れのよう。生き抜くのも大変だったことでしょう。
官兵衛のドラマが始まったとたんに、ここにいた!とピカッと思ったのも不思議なことで、
たまたま友人とそんな話しになったら、
「うちは、その時攻めていた豊臣方だった…」そうで、
縁とは不思議なものですね~
平和な世の中で会えてよかった(^^)
そして「横山党」は、関東の小野氏。
先祖は「小野篁」だったのです。
そんなお話もまた…