梅煙香〜「香十徳」と「梅のにほひに霞つつ」

しほりです♪

2月最後の土曜日、曇り空の午後。代官山には少し早く着きました。お香の会へ向かう道すがら、気になっている場所に今日はちょっと寄ってみようかな。

「猿楽神社」は歩道からちょっと入ったところにある小さな神社で、歩道から見える看板には、ここが古墳だと書いてあったのです。すぐそばには若者たちが並ぶカフェがあるのに、古墳があるとは代官山の不思議なところ。古墳の上に神社が建っているので、階段を上って行くのですが、実は私は古墳が苦手。怖いというのか、やはりお墓だし。階段の入口に立つものの、重苦しい曇り空の寒さも加わり、やっぱり今日は行けないなと諦めました。でも、その入口には左右に一対の紅梅と白梅が植えてあり、小さな木ながら花が満開になっていて、とても愛らしく見えました。梅の枝ぶりも美しく心もふっと緩み、ここでもいいんだよという風になんとなく感じて、そこから手を合わせ、「和の香りと親しむ会」へと向かいます。

「梅煙香」今回の証歌は、藤原定家の歌

「おほぞらは 梅のにほひに霞つつ 

くもりもはてぬ春の夜の月」

証歌という今月のテーマ、そしてそれに因んで香りを当てる「組香」を行います。

香りと文学が結びついて発展してきたのが、日本ならではの香道なのです。

会が始まりますといつもと違い「香十徳(じっとく)」のお話を先生がなさいました。証歌とともに今回のもう一つのテーマとも言える香道でのとても大切なことだそうです。これは11世紀の北宋の詩人黄庭堅によって記された漢詩を「一休さん」の説話でも知られる一休宗純によって広められました。一休宗純といえば父親は後小松天皇。香に深い知識を持っていたのもよくわかります。後の世の人のためにも、この十徳を広めておきたいと思ったことでしょう。とても大切なことが十の徳としてまとめられています。

しつらえも梅に因んだものと、先生の亡くなられたお師匠様が作られた「香十徳」の掛け軸がかけられていました。そのお軸から、お師匠様が大切になさっていらした姿勢や、繊細な美の感性が伺われました。ちょうど私の席からよく見えますので、先生のお話の合間にも、すてきだなと拝見していたのですが…

あれ?なんとなくお軸が傾いたような。見るたびに傾いていき、組香が終わった時にはすっかり傾いて落ちそうなくらいに。いつもそのようなことはなかったので、もしかしたら亡くなられたお師匠様かななんて思えてしまいました。かなり傾いて危なかったので、先生に申し上げると、先生もそのように思われたようでした。お師匠様の思いが伝わってきたような出来事でした。

「香十徳」

「感覚鬼神」古来鬼は神でもありました。感覚が鬼神のように研ぎ澄まされることをいうそうです。昔の人たちは、香によって現代の私たちにはない感覚を持っていたのでしょうね。そのようになることは果てしもないことかもしれませんが、誰でも香に親しむことで、それ以前の私の感覚とは何かが違ってくるのかもしれません。

「能覺睡眠」眠りを覚ますこと。香でリラックスして眠くなるというイメージがありましたが、眠気を覚ます方だったのですね。もしかしたら、眠っている私たちの才能をも覚まさせてくれるのかもしれませんね。

「静中成友」孤独な時でも友と成るということ。孤独感に襲われた時でも、香は寄り添ってくれるとは考えてもみなかったのですが、素晴らしい香の徳だと思えました。

今回は「梅煙香」ということで、香炉の灰もいつもの白いものだけではなく、赤みのある菱灰も使われました。菱の殻を焼いて作られるそうです。紅白の梅に因んでのすてきな演出で、こういうお心遣いも大変うれしく、毎回しつらえを拝見するのも楽しみなのです。

組香の後のお茶会でも、注文で作っていただという紅白の梅のお菓子のあでやかさに、思わず気持ちも上がります。

かつての日本では、花見といえば梅でした。今の元号「令和」も大宰府で大伴旅人の開いた梅花の宴から生まれていますし、やはり春の花の先陣を切って咲く可憐な紅白の美しさは、梅ならではですね。梅見に行きたくなります♪

組香の最後には、先生が証歌を披講なさいます。梅の歌を朗々と歌ってくださるので、歌の世界に入って景色を味わいながら、ゆっくりとこの定家の歌を音で全身で感じる時間に感じます。

そのお歌の中で「梅のにほひに霞つつ」というところ、気になりました。

帰りまして、定家のことやこのお歌のことも調べて見ますと、この部分が定家ならではの凄さとわかりました。春の夜の霞んだおぼろ月の光景という視覚だけでなく、梅のにほひ、匂いという臭覚も織り込んでいるところ。私たちはこの歌を感じるとき、自然と視覚と嗅覚が連動するので、他のお歌では感じないまた違う感覚を味わうことができるのですね。

そして「にほひ」

今では「におい」となって、良いにつけ悪いにつけ臭覚に感じるものに使いますが、「かおり」は良いときだけですよね。では、定家はなんで「にほひ」を使ったのかな、「かおり」を使う歌もあるし、この違いはなんだろう?と思ったのです。

「かおり」は元々「かをり」だったそうです。今は名前で「かほり」もありますが、こちらは逆に最近のこと。語源をたどると、香が「をる」=存在する、そこにある、ということだそうです。(語源については諸説ございますが)

では、「にほひ」はどうでしょう。「に」は土や、丹(に)水銀朱の赤、「ほ」は際立つとか表に出るということだそうです。「穂」からきているのかな。出てくる感じ、立ち上るエネルギーも感じます。赤い色が際立って華やかな様子という、もともとは視覚から来ている言葉だそうです。お香の会でも今回のために用意くださった赤い「菱灰」を彷彿させますね。梅の花は紅白あることで、お互いの色を引き立て合い、より華やかになっているように感じます。

「あおによし ならのみやこは さくはなの 

にほうがごとく いまさかりなり」

こちらは万葉集の歌で、藤原定家の時代(平安末期から鎌倉)よりかなり古い歌ですが、花が色美しく照り映えるようにと、都の華やかな様子を表しているので、より視覚的で、時代が経るにつけて、臭覚的になっていくことが伺えます。なので、定家が視覚臭覚をミックスした「にほひ」という言葉を使うことで、この春の夜の夢のような風情を歌に表したように思いました。

「梅煙香」今回も初心者ながら、たくさんの学びをいただきました。先生をはじめ、ご一緒いただきました皆様に感謝申し上げます。

「あおによし」の歌も、とても気になる歌なのでまた書きたいと思っています…

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