明鏡止水・寒川神社

しほりです♪

お久しぶりです。先日行った寒川神社の小さな旅をまとめてみました。よかったらお読みくださいね♪

「明鏡止水・寒川神社」

1188、目に飛び込んできた車のナンバー。今日は始まりと末広がりって思えて幸先がいい。見上げると、青空に何かビュンビュン飛んでいるようなエネルギッシュな空だ。

こんな日に寒川神社へ行けるなんて。今日は、お香の会で出会った方が車で案内してくださることになり、歴史好きの友人と三人での参拝だ。寒川神社の御神苑が冬の間は閉じてしまうので、その前ぎりぎりの日程だったが、12月とは思えないほどの温かく佳いお日和、なんて恵まれているのだろう。

寒川神社に着くと抜けるような青空。まだ七五三参りの人たちも多く、広くすっきりした境内もにぎやかで華やいでいる。正式参拝を済ませ、「神嶽山神苑」へと向かう。正式参拝すると入場券がいただけるのだが、御神苑へ行く人はごくわずか。勿体ないと思うが、いつも静かに過ごせるのはありがたい。御神苑の入り口近くに難波の小池がある。今回案内してくださった方も、今まで気づかなかったとのことだったが、やはりここも素通りしてしまう方が多い。私にとっては、寒川神社と言えばここと感じてしまう。この先の神嶽山もただならぬ雰囲気で、手を合わせながら進むと、その先にはお水の聖地のような庭園が広がっている。何度も来ているが、今回はあまりの美しさに息をのんだ。

青空と紅葉が池に映り込み、湧き出る水の波紋がそれを揺らしている。ちょうどお日様の光も注ぎ込んで、今このタイミングだからの煌めきだ。禁則地であったこの場所をこんなに素晴らしい御神苑として開放してくださっていることは、なんともありがたいことだ。この先の池の畔に水音も清々しい茶室があり、お抹茶とお菓子がいただける。でもその前に、行っておきたい場所がひっそりとある。「祖霊社」だ。

先ほど本殿のあたりに、今年の厄年が書かれていて、そのそばに今年の八方塞がりも書かれていた。なんと私は今年八方塞がりだったのだ。ということは、あれから9年経ったのかと思い出した。初めてこの神社に来た日のことだ。夫がお正月の会社の関係で初詣でに出向いたら、とても良い神社だったと珍しく勧めてきた。うちは東京だが、夫が神奈川の事業所に転勤にならなかったら、寒川神社を知ることもなかったかもしれない。ちなみに夫が寒川神社へ参ったのはそれ一度きりで、お正月なので御神苑も開いていなかった。

私は、その年、季節がよくなったら行ってみようと思っていたところ、寒川神社が「八方除け」が有名と知った。あちこち旅行へいくようになっていたので、せっかくだから正式参拝することにした。ちょうど友達たちも行ってみたいとなって、6月に出かけたところ、花菖蒲がちょうど美しい頃だった。始めて御神苑に入った私は、そのすっきりと清らかな水の庭園がとても気にいってしまった。その時、ここにも神社がある、と気が付いて入ったのが祖霊社だった。何の神社かと思ったら、寒川神社の氏子さんたちの霊を祀ると石碑に書いてあった。その時、ふと自分の先祖も関係しているのかなと浮かんできた。その頃まで、神社とか先祖とかには興味がなかったのだが、墓参りに行った後、急に発熱したのをきっかけに、先祖のことを調べ始めた頃だったのだ。

また翌年のこと、寒川へ行ってから相模づいてしまったのか、神奈川方面へ行くことが多くなっていた。夏のある日、友人と西鎌倉の龍口明神社へ参ると、笑ってしまうくらいすごい勢いで雨が降ってきて、社務所の屋根のかかるところで雨宿りすることになった。そのおかげで、女性の宮司様とお話することができた。

その話の中で、私が昨年、八方塞がりだったことを教えていただいた。確かに大変な年だったが、ちょうど寒川神社に八方除けに行っていたのだ。おかげで大変とはいえ、大難はなく無事に過ごせていたので、その時、もしかしたら先祖が呼んでくれたのかもと感じたのだった。

そうか、それから毎年、コロナの年を除いて寒川神社で八方除けをしていただき、御神苑や祖霊社にも参っているが、ちょうど9年経って一回りしていたのだった。相変わらず祖霊社はひっそりとしているが、小鳥たちの声やそよ吹く風の中、ゆっくりお参りできた。

さて、この後はお楽しみのお茶室だ。窓際の席から紅葉の映える池越しに神嶽山が見える。池に注ぐ小さな滝の音に心身も洗われるようだ。八方除けの干菓子とお抹茶をお願いすると、引換券をくださるのだが、私の券には、その池の景色と「明鏡止水」の言葉が。他の人たちも合っている言葉が来てるね、との話になる。

水がやはり入っているが、この言葉の意味を調べると、「曇りのない鏡と静かな水から、邪心がなく静かに澄みきった心の状態。」ということだった。先ほど知った「八方塞がり」から祖霊社を経てこの言葉。このような時ほど、心平らかに静かであれと言われているように感じた。

私の先祖は、武蔵七党の中の横山党という武士団だった。源頼朝について戦い、和田合戦では姻戚関係の和田方について本家は滅びてしまったそうで、大河ドラマはそう思うと切なくて見ていない。けれど、どちら側であっても、厳しい時代に生きた方々は、明鏡止水の境地に立ち、覚悟を決めて事に当たらなくてはならない場面がたくさんあったことだろう。寒川神社に来るとこの時代のことが思いやられ、この神社と私がどう関係しているのかわからないが、縁のある場所のように感じてしまう。

初めて来てから一回り経った今年、その日から不思議な連鎖が続くことになるとは、この時の私は思ってもみなかった。

続きます。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。

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