【泉涌寺~私が関西リトリートをするようになったお話☆】(11/13~15リトリートの記事は文末に)

しほりです♪

今回のリトリートから、泉涌寺のお話を♪

泉涌寺、と言ってもご存知ない方も多いことと思います。

「御寺泉涌寺」とも言われ、天皇家の菩提寺であり、天皇陛下も代替りの際にはお越しになってらしたし、その天皇陛下のいらっしゃる御座所とその前にある庭園、こじんまりとしていますが、とても素晴らしいのです。

京都の紅葉といえば、たくさん名所ありますが、なぜかここに来ますと、ここだけで満足くらいな感じがします。来ている人たちからもよくそんな声が聞こえてきます。来てみてびっくりなんです。

さて、そんな御寺にどうしてみなさんをご案内するようになったのか?

全て不思議なタイミングでした。

2015年は父が亡くなった年なのですが、亡くなる少し前のことです。当時私は資格を取ってパステルで曼荼羅を描いていて、それをたくさんの人に描いてもらいたいと思っていました。

ある時、知り合った方がスペースを持ってらして、曼荼羅のワークショップをさせてもらうことに。お一人来てくださり二人で描いてますと、そこに関西から見学に来たという方が話しかけてくださいました。

ご兄弟がお寺の住職で、そこに曼荼羅がある。よかったらそこで描いたらどうかと。

え、関西のお寺で?とびっくりでしたが、そのあと「京都の泉涌寺」と聞いてまたびっくり。その少し前に「まりさん、京都に行かれたら泉涌寺に行ってください。あそこの山は気が他と違いますから。」とある方から聞いていたのです。その泉涌寺にピンポイントとは!

当時は、ただ良いものだからと思って曼荼羅を描いていただけで、空海が持ってきた両界曼荼羅があることも、泉涌寺が真言宗なのでそのお寺に曼荼羅があるということも、な~んにもわかっていなかったのです。

私もちょうど泉涌寺の話を伺ったところですとお話していくと、お寺は泉涌寺の山にあるお寺で、普通に襖とか狩野派だったりするんだよね~などと気さくに仰ってくださり、またご連絡することになりました。

ところが、帰って調べますと、泉涌寺は真言宗泉涌寺派の大本山。そして、天皇家の菩提寺とわかり、私はびっくりしてしまいました。そんなところで、私のようなものが、描いたりしていいものかと。

とても悩んでいたところ、また曼荼羅ワークショップをやる日になり、赤羽のハナペコカフェへ行きました。このカフェに来るきっかけは、ヒマラヤのカイヤナイトの写真に見せられて、カイヤナイトディに来たことからでした。

「ヒマラヤの青い石」のユキさんが、現地から持ってきたカイヤナイトを売ってらしたのです。→ユキさんのFBページ

ちょうどその時にアクセサリー作家のマスダさんも関西から来られていて、青いカイヤナイトの宇宙に月のような銀色のかけらの入った指輪に一目惚れして買ったといういきさつがありました。

泉涌寺のことで悩みながらカフェに着くと、なんと関西にいるはずのマスダさんが、そこに座っているではないですか~急に用事があり東京に来たので、ちょっと寄ったところだそうでした。

ほんと仏様のように思えて、マスダさんに駆け寄り、泉涌寺のいきさつを話したのです。

「私なんかでいいのでしょうか?」とお話すると、私に来たチャンスなのだからやりなさいと。誰も来なくても私が行くからと仰ってくださって。

その場にいた初めてお会いする生徒さんも、いきなり私がマスダさんの所へ行って話し出したので、びっくりなさってました。ごめんなさい~

この生徒さんも、私も行きますと言ってくださる幸運に恵まれ、私は京都のお寺で曼荼羅を描くという思ってもみなかったことに踏み出すことになったのです。

ちなみに、マスダさんにその後、本当にあの時はありがとうございました!と思い出して話すと、そんなこと言ったっけ?とすっかり忘れてらっしゃいました。

父が亡くなったあとに描いた曼荼羅「鎮魂」

その後秋の初めに父が亡くなりましたが、父の後押しもあるような気がして、そのお寺にご挨拶に行きました。それがちょうど7年前の今頃でした。

案内されたお寺は、静かで落ち着いた風情がありながら、奥に皇室のご位牌もたくさんあり、徹底的に浄められている感じがしました。たしかに言われたように、山の気が全然違うのは、元々の土地のものと、そのように場を浄めてらっしゃるからと思われました。

そして、翌春「華曼荼羅会」と題して、曼荼羅を描いて、和久さんのお料理をいただく会をやることにしたのです。

連休を取れなかった郵便局のパートもやめて、翌日から旅立ちました。旅をすることがやることに思えたからでした。

和久さんも、どうやって見つけたの?とよく言われますが、なんとなく見つけただけなのです。最初に娘と行った時、あまりに楽しくて素晴らしくて、ここで貸切できたらどんなに良いだろうと思ったことも、この会で叶うことになりました。でも、お一人でなさっているのもあり、その後人気でどんどん予約が取れなくなり、常連でも何年も先にしか貸切もできなくなってしまいました。

こんないきさつで、曼荼羅の会を数回させていただき、事情があり曼荼羅やめてからも、泉涌寺に着物を着て参ったり、写経や知られてないけどすごい仏像を拝見したりと、毎年のように泉涌寺には通っています。

その最中、私たちは奈良の吉野山にもよく行くようになりました。京都で泉涌寺、奈良で吉野と行き来したりしていたのですが、それも少し不思議な縁も感じます。

泉涌寺は天皇家の菩提寺なのですが、天武天皇系のお位牌はないのです。なぜなのか?はわからないのですが、もちろん深い事情があることでしょう。一方吉野山は天武天皇が蜂起した場所で、とても天武天皇に縁の深い場所。たまたまなのですが、古代史の大きな鍵を握る天武天皇とプラスマイナスで縁のある場所ということで、面白いなぁと思っています。

月輪大師が創建した時から湧き出ている泉

泉涌寺は、弘法大師空海が草庵を立てたことから始まったと言われています。私もこのように泉涌寺に誘っていただいてから、なぜか空海様のいらっしゃる所へ行くようになっていきました。

今熊野観音寺

曼荼羅から始まった関西リトリート。泉涌寺の少し下にある今熊野観音寺も隠れた紅葉の名所でとてもすてきなお寺です。泉涌寺の上にある雲龍院での写経も、天皇から下賜された机があったり、写経道場の始まりと言われています。

雲龍院

以前娘とどうしても庭園だけでも見たくて行った時は「弘法の日」にあたって、毎月その日だけ売っている「どら焼き=銅鑼で焼いた棒状のお菓子」もお土産に買いました。弘法の日は毎月21日。どら焼きは20~22日に販売しています。

泉涌寺については、このあとも不思議な流れになっていきますが、過去ブログ「遊行のごとく、尾道で結縁灌頂」の方よかったら♪→こちら

今回の関西リトリート、写真も入れてブログに記事を載せました。ご興味のある方はぜひご覧くださいませ。よろしくお願いいたします。→こちら

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