八朔の荷葉香

しほりです♪

note更新しました〜「八朔の荷葉香」
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飛んでいただくと、目次や写真入りで読みやすいです。
今日は同文を載せますね☆

「八朔の荷葉香」

8月27日、過ぎゆく夏の最後の輝きのように、痛いほど日が射しているのに、空にはお馴染みだった入道雲の姿は無く、天女の羽衣のような絹雲が舞い、もう秋だよと言いたげに見えます。

コロナもひと段落して、結婚式帰りの若い人たちの姿もあり、清楚な紺色のドレスに野の花で作ったような小さなブーケを持ったお嬢さんがとても愛らしい。

「そういえば、夫が新月で一粒万倍日で友引と言っていた。」というと、友達から「今日は八朔だね。」と返ってきました。
旧暦八月の朔、新月の日を八朔と言い、初穂を世話になった方に送る「田の実節句」だそうです。そんな佳き日にお香の会に参加できるなんてうれしいことね、とサロンへ向かいます。

 8月の和の香りに親しむ会は「荷葉香」
荷葉(かよう)とは、蓮の葉のことで、お盆の時などお供えに何かを載せる、荷を載せる葉なので荷葉と言われているそうです。

香道では香りは「聞く」ので「聞香」と言い、香りを聞き分け当てていく遊びのことを「組香」と言います。なんと今回は9年ぶりという組香で、いつもより数段難しいものだそうです。そんな挑戦にちょっとワクワクしてしまいます。

「荷葉香」に因んだ和歌は、僧正遍照の

「はちす葉のにごりに染まぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」

はちす(蓮)の葉は、泥から生えても、にごりに染まらない心をもっているのに、どうして露を玉に見せて人をだますのか。という意味だそうです。

泥から生えても泥に染まることなく美しい花を咲かせ、「清らかで美しいもの」とされる蓮。けれど、露を玉に見せてあざむくような「あざとさ」もあり、そして、「表面に見えているものが全てではない。」とも言っているようで、僧正遍照のお歌、とても奥が深く感じます。

組香は、毎回そのルールが違って、お歌に因んだものになっています。香と歌とが結びついて独特の進化をしたのが、香道なのです。

今回の組香では、三つの違う香「は」「ち」「す」を試し聞きし、次に順不同でまわってくる三つの順番を当てた後、

今度は試香なしで2つの香「露」「玉」が同じものかも当てるという二段構えの複雑なもの。

香炉が全部で8回もまわり、初心者なのにたくさんの貴重な香木を聞けるというのは本当にありがたいことです。寝不足の影響でどんよりしたのですが、最後には心身ともにすっきりしていました、さすが香木の力♪

けれども今回、私は五つの答えのうち一つしか当てられなかったんです。温度や時間の経過により、酸味が消え深い香りに変化するのを読みきれなかったのですよね。

前の「星合香」の記事を読んでくださった方は、「真那賀(まなか)」というとても貴重なお香に、私が惑わされてしまったというのを覚えていてくださっているかもですが、その「真那賀」ちゃんが、再び登場。こんな貴重なお香をまた焚いてくださるとはですが、その古を感じる魅惑な香りにまた同じことをやってしまったのでした。

その香木の持つ本質的なものは変わらないのですから、そこを聞き分けられるかが大きな分かれ目となっているのです。

でも、後半の二つの香の方は実は自信があったんです。続けて香炉がまわってきたのですが、これは全然違うと思いました。

なんと一人を除いて全員が私と同じで二つの香が「違う」という答え「露」の方を書いたのですが、正しくは「同じ」香ということで「玉」と書くのが正解でした。

正解された方は、本当に物事の本質をわかる感覚をお持ちなのだと感心しました。大方の人が思っているものが真実とは限らないですよね。

「露を玉とあざむく」ように私たちは見事にあざむかれてしまいました。こんな風に組香の時には、香や和歌の不思議な力が働いているようなのです。まざまざとそれを見せつけられた気がしました。

そして、さらに不思議なことが続きました。お茶会の時間、全て正解なさった方が、このようなことを淡々と話されたのです。「今月、鹿児島の知覧に行ってきました。特攻隊の英霊の方たちも、この場に一緒に来てらして、きっと香の力で天に昇られたと思います。」太平洋戦争の末期、神風特攻隊として知覧の基地からたくさんの若者が飛びたったのです。

その後のこと、先生とお話している時、私は今回できなかったことをつい「玉砕してしまいました。」と言ってしまったのです。そのとたん、

零戦に乗る若者の姿が見えた気がしました。ごめんなさい、心の中で謝りました。簡単に使っていい言葉ではなかったのですよね。

「玉砕」とは、玉が美しく砕け散るように、名誉や忠義を重んじ潔く死ぬこととあります。「勇士は瓦のように無事に生き残るより、むしろ玉となって砕け散った方がよい。」という中国の記述が語源だそうです。

太平洋戦争中に、その言葉はたくさん使われました。

知覧の基地を飛び立った特攻隊の若者たちは玉砕して、いや玉砕させられ、露と消えたのでした。

儚い露のような命を玉と散ることが美徳と、国が欺いたようにも思えます。もちろん欺かれなくとも、大切なもののために玉砕なさった方もたくさんいらしたことでしょう。

さっき見た清楚なお嬢さんの持っていた小さな花束も、時代が時代なら露と消えた恋人へ手向ける花となっていたかもしれません。

では、「私たちは平和な時代に生まれて良かった。」そうなのでしょうか。

帰り道、駅に着いたら、友人が乗る路線が人身事故で止まってしまっていました。違う線で行こうと調べた路線まで人身事故が起きていました。

戦時中の若者たちの死が玉砕という言葉で欺かれたように、今は人身事故という言葉で追い詰められたたくさんの人々の死が欺かれているように思えてなりませんでした。

そして、そう思いながらも、どこかでその現実を見たくなく、スマホの画面だけを見ている私もいました。

夜空には八朔の見えない月が輝いていました。

「荷葉香」は、まるでお盆、終戦記念日、生と死の繋がる8月を象徴するように、歌と香の不思議な力を感じる一日でした。

私たちは、蓮の清らかな美しさゆえに、その美しさを正義としてしまい、「露を玉とあざむく」なんて考えてもみなかったのですが、
遍照の視点は、見えているものだけが全てではなく、そこに隠された何かもあるのだと教えてくれました。
また、同じように香木の香りも、上っ面だけではなく、その本質を見極めるということをいつも教えてくれいると思います。

香木は何万年もの時を経て、私たちにその香りを届けてくれています。考えてみたらその一期一会もすごいことですよね。

このような貴重な機会を与えてくださった、先生、ご一緒してくださった皆さまに心より感謝しております。

このあと、少し続きます。
また投稿しますね。長文お付き合いいただきありがとうございました♡

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