「桜の花がピンクなのは?」と「2千年の過去と未来の話」~2のメモリー①

さくらんぼの花が咲いた♪娘の塩絵の花たちと。

しほりです♪

2月はあっという間に終わりましたね(๑˃̵ᴗ˂̵)この1ヶ月は新しくお会いしたり、何かが始まったり、古代史のインプットも多くて、なかなかアウトプットの方ができませんでした。

2月は私には特別な月なのでたくさんのことがどんどん起きてきた感じもします。改めて、2月振り返り、記録しておいた方がいいなぁと思ったことを書き綴っておこうと思います。

さくらんぼの花が咲きました♡

魔法の杖のような枝を一本いただいて、2つに切ったものをテーブルに置いておきました。一つの小さな芽の中に、実はたくさん花芽が入っていて、どんどん増えて膨らんでいく様子はそれこそ魔法ののようでした。

生えている木の枝にあるものを見るのと、そばに置いて目の前で見るのとでは、全然違って、毎年の当たり前なことが、とてつもない自然や生命の不思議に見えました。

花が咲いた時、うれしかったなぁ。普段あまり自然と接してないから、この毎日 

は貴重な体験でした。枝を分けてくれたご夫妻とさくらんぼの樹さんに本当に感謝です☆

そして、観察していて気が付いたのですが、白い花だとガクは緑なんだなぁ~

たまたま塾で教えている国語の問題で、桜の木は花が咲く前、身体の中に赤い色素をたくさん作るという話が出てきました。人間の血みたいね。

身体の中にたくさんの赤ができるから、桜の花はその結果として、白い花でなくピンクの花になるそうなのです。

だから、桜色に染めたい時は、花が咲く前の枝から染めるのですね。

たくさんの花に赤を供給して、花が終わると、桜の木の中に赤が無くなるのです。

そういえば、ピンクの桜、お花見に行くと落ちているガクも赤っぽかった。

実は桜の樹全体が中から赤かったから、ガクも赤く、白い花のさくらんぼのガクも普通に黄緑で身体の中に赤い色素は無いのですね。

この前、吉野の桜のことも書きましたが、吉野山の桜は「シロヤマザクラ」

ソメイヨシノの慣れた私には、思ったより地味に見えました。ピンクベージュな感じ。

でも蔵王権現という神様にたくさんの人が捧げてきた吉野のシロヤマザクラは、また違った趣きがあります♡

そばで見ると、山桜なので葉が花と一緒に出て、葉の方が赤いのです。それと白い花の合わさった効果でピンク色に見えているんですね。

新宿御苑のソメイヨシノの大木の下のお花見と、古来の山を登り上から桜を見るお花見。どちらの良さもありますよね。

吉野の花見、醍醐の花見は、秀吉で有名になりましたが、実は論功行賞の面もあるとか。

山伏たちが秀吉の情報収集に協力していたということも言われてます。明治になって神仏習合や修験道禁止になるのも、それだけの勢力が山にあったということもあるのでしょうね。

ちなみに、

ソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンザクラの交配種でした。江戸後期にできていて、一つの地域に一度に咲くという特徴があり、花だけが先に咲きます。いっせいに咲く桜の下の花見という今の形は明治になってからだそう。この咲き方だから桜前線ができたのですね。

山桜の方は、葉も一緒に出て、山の下から順々に咲いたり、個体差も大きいのですって。その代わり長命だそうですよ。

ソメイヨシノは、吉野の桜でもその交配種でもなくて、吉野の桜が有名だからってことでついた名前だそう。イメージからだったのね。

そして、自然で自分で増えることができない種なので、人が接木とかで増やすしかなくクローン桜と呼ばれているとか。

とても美しくて、当たり前のように私たちを楽しませてくれるソメイヨシノの花見、そんな面もあるのですね。

私が観察中のサクランボの花は、実がつきやすいように、おしべが長くてわんさかついているけど、葉は花のあとから出てくるタイプ。あー散っちゃうのが寂しいなぁ。

なんとなく見ていた桜の花も、みんな実は個性的なのですね(^^)

話が桜の方へ行ってしまいましたが、毎年生まれる新しい命を感じさせる花の一方で、ずっと続く二千年の歴史について考えることがありました。

伝統の技やその昨品を残していくのに誰に残すか。千年後の子どもたちへか、二千年後の子どもたちへかという話になったことがあって。

継承する人のいないどんどん消えてしまう技術やその作品を残していくのに、どのくらい先の子どもたちをイメージしたらいいだろう?という話。そうして作るものは実際ずっとその時まで続くのではないだろうか、ということでした。とても前向きで面白いですよね!

逆に私たちは、平安時代の人からみた千年先の子どもたちで、二千年だと弥生時代ですかね。水稲耕作で持つもの持たないものの区別が始まったり、取り合いの戦争も始まったあたりです。すごい転換の時代、そこから見たら二千年先の子どもたち。

千年のものはけっこありますよね。関西行くと、東京とすごい歴史観違うなぁと思いますもの。

また今や水瓶座の時代に入ったと言われるけど、その前の二千年が魚座時代になるし、そういう意味でも単位が二千年の方がいいと私は思うなぁなどという話をしていたのです。

二千年後の次の時代まで、今職人さんが作ったものを残せるか?などと、過去と未来を行き来するような、水瓶座の集まりらしいお話でした(笑)

で、その翌日ふと思い出したのです。

その時、二千年前の職人さんの技、私胸に着けていた(*’▽’*)

二千年前、世界史に目を向けるとローマ帝国の時代、ガラスが帝国の勢いとともに世界に広がって行ったのです。ガラスはもっと古い時代にフェニキア人(このところよく登場するね~海の民)が作ったとも言われますが、ローマ時代には一般的になっていきます。

やがて帝国は滅びますが、そのガラス製品が条件が良い砂漠地帯でずっと砂の下で眠っていて、石のようになり綺麗なな銀色の膜もつくようになったのがローマングラス。

私のローマングラスも二千年くらい埋まってたものと聞いていたのでした。

埋まってたとはいえ、二千年前のガラス職人さんが作ったものを、何気に着けてて、二千年後の話してたとか、

なんかわけわからないけど、面白いことになってましたね(≧∀≦)

今日も読んでいただき、ありがとうございました⭐︎

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